はこ人日記

はこの中

ちょっとした疑問

今回は単なる日記のようなものを書くのみです。暇なら読んでいいかもしれません。

 

2、3か月前に私はyoutubeで自分好みのアニメーションを見つけた。勢いのある動きや、特徴的なキャラクターには他にない魅力があった。調べてみるとそのキャラクターはオリジナルホラーゲームの登場人物らしく、私はそれをダウンロードして楽しんだ。

どうやらそのゲームの周辺で問題が起きているらしい、ということを知ったのはつい最近だった。ゲームやアニメーションの作者が数年前に起こした問題について人々がTwitterで声を上げ、周りに作者をサポートしないように呼び掛けていた。その問題の真偽について私はよく知らないため、ここで詳しく述べることはしない。証拠として挙げられていた会話のスクリーンショットはどれも英語で書かれており、しっかりと理解するまで読むのは骨が折れるし、通話での問題発言は詳細を知ることができない。

Twitterで主張されている内容をGoogle翻訳で和訳して流し読みしつつ、内容を大雑把に把握しようとしていたときに、ある疑問が思い浮かんだ。何故この人たちは暴言を交えて非難しているのだろうかと。私は英語圏のインターネット文化について明るくはない。しかしながら、いくら怒りを感じていようと、Fワードを使って対象を罵る言葉を書くのは如何なものかと思った。私が知る限り、日本語圏での言い争いは暴言を吐いた時点でその人に冷ややかな目が向けられる。もしかしたら海外ではそういったことはないのかもしれない。だが、どんな悪人に対しても身勝手に暴力を奮ってはいけないように、何に対しても暴言は控えるべきであるように思う。特に自分が正義の側に立っていると考えているのであれば尚更だ。

そんな暴言を用いて作者を非難する人々には共通点がある。それは、元々はファンであったということだ。自分がファンであったことを恥じ、その自責の念から逃れるために必要以上に作者を責めているのではないかと私は推測した。

 

物事の善悪の社会的な基準は時代によって変化する。特に最近はマイノリティが声を上げやすい環境になり、急速に変化が進むようになったと思う。そして、私はその変化に上手いことついていけていないように感じる。私は割と自己中心的なため、他者の人種や性別について興味がなく、その人が生きやすいように決めればいいと思うのだが、世の中には他者のそういったことに口出ししたい人がいるらしい。偏見を持つことは仕方がないが他者に押し付けるべきではない。そんなこんなで社会ではやっていいことと悪いことが厳格に決められていった。私にはそれらを機械的に覚えることはできるかもしれないが、心の底から理解することはできないように思う。そのため、いつか大きな問題を起こすかもしれないと冷や冷やしている。もっとも、今のように知名度や影響力がほとんどない状態であれば、無視されて何事もなかったかのように過ごせるとは思う。これが嬉しくも、虚しい。